INTERVIEW

橋梁特殊工世話役
井岸 隆

カタチとして残り、
地図に刻まれ、誇れる仕事。

現会長夫婦の人柄にふれ、
ふたりに喜んでもらえる仕事がしたかった。

私は19歳の頃に北海道から上京し、当社の現会長夫婦と現場で出会ったのがみなとに加わったきっかけです。現会長は人に対して温かく、まだ東京に慣れずにいた私に対して、生活面のことまで親身にお世話してくれたんです。その気持ちに応え、おふたりに喜んでもらえる仕事がしたいと、先輩たちのもとでとにかく一生懸命、仕事に取り組んだことを覚えていますね。

大変さもつきもの。
でもそのすべては完成したときの達成感で報われる。

それから30年以上、首都高開通に向けた橋梁架設にも携わるなど、大規模な公共プロジェクトの数々に参画してきました。もちろん、現場での仕事は大変さもつきもの。しかし、元請会社の監督さんやみなとの仲間たちと協力し、一つずつ工程をクリアしていき、完成に至ったときにはすべての苦労が吹き飛ぶくらいの達成感を味わえます。このつくり手としての喜びがあるからこそ、これまで長く続けてこられたんだと思います。

「日本一の吊橋を架けよう」と奮い立ち、
大プロジェクトへの参画を決定。

印象深い案件はたくさんありますが、一つあげるとするなら、「三島スカイウォーク」ですね。全長400mという日本最長の人道吊橋で、この工事計画を聞きつけた私は、現会長に「日本一の橋を架けよう」と背中を押し、見事受注に至ったんです。この工事で採用されたのは、ケーブルクレーンを用いて橋体の組立・架設を行うケーブルクレーン工法。あまりの高さに体が縮こまりそうになる場面もありましたが、これぞ橋梁特殊工の腕の見せどころ。私たちが主体となって工事を進め、持ち前の技術と経験のすべてを注ぎ込んでいきました。

大迫力の吊橋を家族と一緒に目の当たりにし、
誇らしさでいっぱいに。

そして、いざ完成を迎えたとき。富士山の雄姿をバックに大迫力の吊橋を目の当たりにすると、「やり切った」という清々しい達成感に包まれました。後日、妻と息子を車に乗せ、展望台から全景を見晴らしたときも、「どうだ」と、誇らしさで胸がいっぱいになりましたね。周りの観光客から「すごい!」「こんなのどうやって架けたんだろ」という声があがるたびに、「オレが架けたんだよ」と心の中でつぶやいていました(笑)。

元請会社の所長から直々に指名を受け、
現プロジェクトの世話役へ。

現在は新東名の橋梁架設工事に世話役として参画しています。元請会社の所長とは、首都高開設工事からのつきあいで、「この案件も井岸さんの力を借りたい」と、直々に指名をいただいたんです。職人冥利に尽きることですよね。自分の仕事ぶりによって元請会社の方々との信頼関係を深められ、一生のつきあいができる。そんな魅力も、この仕事ならではだと思います。

ファミリーのように温かく、
何でも相談しやすい職場づくり。

私が世話役として大切にしているのは、若手のメンバーたちが何でも相談しやすく、仕事に打ち込める環境をつくること。できるだけメンバーたちに裁量を任せ、悩んだり迷ったりしたときには何でも相談に応じ、アドバイスを惜しまない。そんな関わり方で若手たちの成長を促しています。みなとは会社全体に家族的な雰囲気があり、“みなとファミリー”としての一体感であふれた会社です。仕事には責任をもって取り組み、仕事を離れればきっちりとリフレッシュ。そんなメリハリをもって働けることも、気に入っています。

やる気さえあれば、
私たちベテラン陣がじっくり技術を伝授。

自分の手がけた橋が後世までカタチに残り、友人や家族に誇れる素晴らしい仕事です。数ある建設関連の仕事のなかでも、橋梁架設は建設に関するオールマイティな技術を磨くことができ、身に付くのはまさに一生モノの技術です。私たちベテラン陣がじっくりと技術を伝授しますので、未経験からでもやる気があれば大丈夫。じっくりと5年経験すれば、一人前になれますよ。

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